絵のこと その3
やっと絵にたどり着きました
1970年代、版画がブームになった時代があったそうです。高度成長期、一般庶民が豊かになり、文化的なものに目を向ける余裕ができてきた頃、普通の絵画に比べて安価に買える版画はお手軽なインテリアだったのです。父の職場にも画廊の人が足繁くやって来て、一枚数万円の新作版画を大量に売りさばいていたそうです。
今残っている版画は、笹島喜平2点、斎藤清1点(どっかにもう1点あるかもしれない)だけです。
私は腹が立ったので、富士山の絵をかっぱらって家に持って帰りましたが、これがどうにも渋過ぎるのです。和室が一挙に枯淡の世界になってしまって、なんだか自分まで老けたような気がするので、お正月とか、期間限定で掛けることにしました。
昔は弁財天と一緒に不動明王も実家の客間に掛かっていたことを記憶していますが、顔恐ろし過ぎでした。最近は安くなっているので、こういうの好きな人は魔除けに1点買っておくとよいかもしれません。
父が昔所蔵していた他の作品は斎藤清数点、棟方志功数点です。いずれも値上がりしてから売ったようです。特に棟方志功は、亡くなった後何倍にも値上がりして、相当儲かったようなのですが、その利益が私らに還元されたという記憶は、とんとありません。
棟方志功の作品は、エロチックな女神とか、マティスっぽいやつとか、たぶん代表作だったものだと思いますが、これらが掛かっているのを見たときには驚愕しました。「この人、もしかして頭おかしいんじゃない?」と聞いて、父に「バカ!」と言われたのを覚えています。客間にずらっと掛けてあると落ち着かなくて、なくなった時にはほっとしました。
斎藤清は「京都の壁 A」とかBとか、今考えてもとても斬新な構図でした。私も割と気に入ってたのですが、気に入った作品はみんななくなってしまい、今残ってるのは「奈良」とかいうあまり気に入らない方の作品です。「なんであっちを売ったの?」と聞くと、「そりゃー値上がりしたから。」と、まあ、当然のことを言い、「お前、ちょっとは見る目があるなあ。」と言われた記憶があります。
あらためて、斎藤清の作品を検索してみると、そのすごさがわかりますね。
最近、会津の冬を題材にした作品が高騰していて数百万の値がついているらしいです。ネコなんかもいいじゃありませんか。
今見ても斬新な絵ですよね。うちに残っている作品は、いくら検索をかけても出てきませんが。
そんなこんなで昔のことを思い返している時、ふと、「そう言えば、昔、もらった版画があったなあ。」と思い出しました。これです。
あまりに乙女チックなので客間に飾るには恥ずかしすぎる、と仕舞い込んでいたのを見つけ、「ちょーだい。」と言ったら、あっさり「いいよ。」とくれたものです。「なんで買ったの?」と聞くと「だって、安かったから。」ということなんで、あっそう・・・と長年自分の勉強部屋に掛けていました。結婚してから部屋に飾ろうとしたら夫が、「ロリッぽい!」と嫌うので、ずっと押し入れに仕舞いこんでいたのでした。度重なる引越しでもう、箱も書き付けも無くしてしまって、著者名がわかりません。いや、サインはあるんです、サインは。
だけど読めないんです。
タイトルは「小紫」。少女が髪に差している花が、野草の小紫です。
誰だったかなあ、昔こういう版画のイラスト、雑誌なんかで時々見かけたような気がする。誰だったかなあ。といろいろ検索してみてもわかんなくて、「ひょっとして、これ、なんというか、アートじゃないんじゃないかなあ。」とか思ってみたりしたのですが、じーっと眺めると、確かにアートなんです。アートの気品が漂っているじゃありませんか。(どう表現すればいいかわからないのですが)「ロリっぽい」と言われても、ロリじゃないんです。だから鑑賞に耐える。
で、まあ、気長に探そうと思ってネットでいろいろ調べていたら、ある日、ヤフオクにこの人の作品が出品されているのを見つけました。やっと作者判明。
オフィシャルサイトもあります。
A Sentimental Blue Flag | SHUZO IKEDA OFFICIAL SITE 『木版画家 池田修三』
2012年に秋田県のフリーマガジン「のんびり」で特集が組まれたのをきっかけに注目が集まり、作品が見直され始めているようです。一時期忘れ去られていた時期があったようですが、最近では作品を収集する人も増え、値段も徐々に上がってきている気配。
秋田では有名みたいですね。
作者が判明してすっかり嬉しくなりました。額の埃を払い、シミの出来ていたマットをネット注文でリニューアルし、今では二階の踊り場に掛けて、毎日めでています。可愛いじゃありませんか。センチメンタルで結構。
うん十年ぶりに父からもらった版画が日の目を見て、ちょっと気分が良くなりました。恨みつらみが8割方晴れたような気がしました。