記録帳

日常の体験と、読書、映画の感想を主に書きます。

ゴミ当番

今週うちはゴミステーションの管理当番に当たっています。

当番は、ステーションの鍵を開け閉めし、掃除して管理日誌を書くだけなので大した手間ではありません。10年ほど前、市町村合併でゴミ出しのルールが変わった時には色々な混乱が起こって大変でしたが、最近では収集されずに取り残されてしまうものはほとんどありません。とは言ってもまるでないわけではありません。

容器・プラスチックの回収日だった今日もひと袋、「分別不良」のシールが貼られて取り残されていました。

ゴミ当番の中には怒って、「お持ち帰りください」と袋に張り紙をして道路に出しておく人もいれば、ゴミを漁って出し主を突き止め、電話でコンコンと説教をする人もいます。まあ、それはよほどひどい場合に限られていて、大抵は当番が分別して次のゴミの日に出すのです。で、私も持ち帰りました。

ところが、これがひどいんですね。

トレイも容器も全く洗ってないので悪臭がひどいのです(また悪臭!)。肉が入っていたトレイは中の不織布シートやラップが付いたままなので腐敗臭がひどい。大体、ラップも不織布シートも「燃えるゴミ」に出さなきゃなりません。ペットボトルも、本来はキャップとシールを剥がしてできるだけスーパーの回収ボックスに入れるように言われているのに、汚れてキャップをしたままなの中が腐敗してパンパンに膨れています。そして、枝豆のカスに混じって液体の入ったビニール袋が見つかったので何だろうとラベルを読むと手作りコンニャクなのです。コンニャクって腐ると液体状になるの?いや、そんなことより生ゴミは「燃えるゴミ」の日だろう。なんていい加減な奴!ちょっと腹が立ちました。

 

もう、ここ2、3年はゴミの分別ばっかしているので、ちょっとやそっとでは驚きません。義母が亡くなった後、カビだらけの押し入れや台所の片付けに苦労し、実家の父が亡くなった後、大量の持ち物を捨てるのに苦労し、娘や夫の部屋を片付けるのにも苦労しているのでちょっとやそっとのことでは動じない自信はあるのです。

でも、ゴミを片付けている時、なんだか持ち主の思考っていうか人間像みたいなものが頭の中に流れ込んでくるような気がしてうんざりすることがあります。親たちの家を片付けている時も「ああ、この人はこういう性格だったんだな」と、今まで腑に落ちなかったことがやっとわかって嫌気が差しましたが、今日、ゴミを分別しているときも、その出し主が大体どんな人かわかってきてなんだか嫌でした。

そういえば、作家の笙野頼子さんが、マンションのゴミ出し場で分別不良のゴミをせっせと分別するという小説があったなあ、と思って検索したらブログがありました。

愛別外猫雑記 笙野頼子 - kyoqooの日記

若い頃は、ゴミステーションで見張っていて「ちょっとあなた、違うわよ!」みたいなことを言うおばさんが大嫌いでした。それがふと気づくと、私も今は立派にそういうおばさんになってしまっているのです。

悪臭を放つゴミ袋を片付けていると、こんな分別不良のゴミを出したノー天気な愚か者にふつふつと怒りが湧いてきて、さらに、「なんでいつも私が片付けなきゃいけないのよ!」と、今までの片付けのトラウマも蘇り、よっぽどゴミ袋の出し主を突き止めて突っ返してやろうかと思いました。いや、できませんけど。

最近越してきた一戸建ての家に住む若い夫婦。以前はアパート住まい。共働きで忙しい。子供はまだいない。コンビニによく行く。お菓子が主食。家のローンでキュウキュウ。庭が草ぼうぼう。そんなところですね。あー、嫌だ嫌だ。

話が通じなさそうなこの人たちも嫌だけど、ゴミ袋からそういう推測をしてしまう自分も嫌になりました。