記録帳

日常の体験と、読書、映画の感想を主に書きます。

お化けなんて怖くない

もしくは、イワシの頭も信心から

 

過去に遡ったついでに、大幅に遡ります。

とってもつまんない話なんで、忙しい人は読まないでください。

 

あれは、まだこの家を建てる前で、私たちが隣町の借家に住んでいた頃のことです。だから相当前のことです。まだ子供たちは小さくて、夫は多忙でいつも帰りは深夜近くでした。どこにも行くことができないので、その頃の私の唯一の楽しみは、夫が早めに帰ってきた日、みんなが寝静まった後で、一人近くに出来た郊外型の大型書店に行くことでした。

あの頃はまだサンリオ文庫なんてものがあって、早川文庫のSFとか、ファンタジーとかとても充実していたのです。アーシュラ・K・ル=グウィンのSFなんてみんなこの頃読みました。

毎回買うわけじゃないのですけど、1時間くらいウロウロ歩き回ってちょっと立ち読みしたりして、12時になると閉店なので、すっかり満足して家に帰っていました。

 

今ではその辺りも綺麗な新興住宅地になっていますが、その頃は一歩路地から出ると、田んぼと畑が両側に続く寂しいところでした。街灯もほとんどなく、夜は真っ暗でした。書店に行く時はうれしくて、暗闇のことなんて頭にもありません。煌々と点った灯目指してルンルンと走っていくだけです。ところが帰りはとっても怖いのです。店から一歩出て、県道ではなく、裏に回って細い用水路沿いの農道を抜けて行かなくてはなりません。その道が一般道に合流する辺りが特に暗く、時々遅い仕事帰りの人とぶつかったりもするのです。その傍には、経営者が夜逃げして閉ざされたままの縫製工場があります。以前は、おじいさんとおばあさんがここで夜中まで根を詰めて働いていたのに、従業員にお金を持ち逃げされて潰れてしまったのだという話です。みんな「あんなに働き詰めで働いていたのに、人生の最後が夜逃げとはひどい話だ。」と言っていました。

鼻をつままれてもわからない暗闇に、おばあさんの青ざめた顔がぼうっと浮かんでくるような気がして、私はドキドキしながら早足で抜けるのですが、そこから先がまたやけに長いんです。暗闇の中を歩くと、行きの2倍の距離があるような気がするので不思議です。

私はまた、そういう時に限って思い出さなくてもいい近所の怪談や、古今東西の怖い話を思い出してしまって、もう怖くて、怖くて、「無事、家に帰ることができるだろうか。」と不安に駆られながら、毎度一目散に走って帰っていました。

 

帰りがあんまり怖いので、書店に行くのも躊躇する時がありますが、やっぱり性懲りもなく出かけ、怯えながら帰る日々がつづいていたある夏の夜のこと。

びくびくしながら畑のそばを歩いていると、畑の向こう側に明かりが見えました。そんなことは初めてでしたので、なんだろうと思ってよくよく見てみると、そこは畑の向こうの農家の裏庭で、なんだか赤い祠のようなものが建っていました。そこに黄色い電球が点っていて、祠の内側を照らしているのです。歩きながらずっと見ていると、その中には白いキツネの像が・・・・、微動だにせず鎮座しているではありませんか。

白いキツネ!

私はぎょっとして飛び上がり、恐怖に駆られて必死に走って逃げました。

真夜中のお稲荷さんなんて、怖すぎです。ホラー映画の背景によく出てくるではありませんか。あの家にあんなものがあったなんて、今の今まで気がつきませんでした。真夜中に明かりを灯しているなんて、何かの願掛けでもしているのでしょうか。怖いです。

ただでさえ怖い道なのに、あんなものがそばにあったのではもはや夜中に通ることができないではありませんか。私は取り乱して、一人家の台所で悩みました。

どうしようどうしようと考えていたら、その時思い出したのです。隣町に稲荷大社があって、親戚のおばさんが毎年初詣にお参りに行くと言っていたことを。そう言えば、おキツネさんを信仰する人はちょくちょくいるようです。きっとあそこの人もそうなのでしょう。わざわざ自分ちに祠まで建てるとは何事かあったに違いないでしょうけど。

私は努めて心を落ち着け、考えました。却ってあの道は安全なのではないでしょうか。お狐さんが道端で睨みをきかせているのです。幽霊や下級の妖怪なんて、出る幕はないではありませんか。そうだ、そうに違いない。そう思うとホッとして、なんだかあの祠が海に浮かぶ灯台のような気がしてきました。

 

それからは、帰り道の半分を大急ぎで走って祠の見えるところまでくるとほっと息を付き、お狐さんの顔を見ながらゆっくり歩いて帰るようになりました。それで道のりが半分になったような気がしました。もはや夜道も安全で、何も怖いものはありません。

キツネ一匹でこの違いです。民間信仰も馬鹿にしたものでもないのじゃないかと思い始めました。

 

 

ところが、2年ばかりたったある春の夜のこと。

 

梅の香りを嗅ぎながらいい気分で月夜の道を歩いていると、明々と点った祠の明かりに照らされて、キツネの目が妙に眼光鋭く輝いているのです。不審に思ってずーっと視線を外さず歩いていたら、その時、私が歩くのに連れてキツネの像の首が、ググーッっと回ってきて、

おまけに、とんがった口がカァーと開くと、一声、

ワン!

と鳴いたのです。

私は、キャッと飛び上がりました。

「ワン?キツネは、ケンじゃなかったっけ?ていうか、なんでおキツネさんが鳴くの?怖いよ!怖いよ!」

と混乱しながら一目散に家に逃げ帰り、ゼイゼイ言いながら、台所に降りてきた夫を捕まえて、「キツネがワンと言ったの。あそこの畑の向こうにお稲荷さんの祠があるでしょ。そこのキツネの像が、ワンと鳴いたの。」と必死で訴えました。

夫は不審そうな顔で聞いていましたが、一言、

「ワンと鳴いたんなら、そりゃー犬だろ。」

と言うと、とっとと寝てしまいました。

 

犬?そんな馬鹿な!

じゃあ、あの祠はなんなんでしょう。絶対違う!

私は納得できなくて、なかなか寝ることもできませんでした。

それで、夜が明けるとすぐに走ってあの畑の傍まで行きました。畑を横切り、恐る恐る祠に近づいてゆくと、朝日に照らされて、祠が赤々と浮かび上がりました。

 

それは錆止め塗料を塗った鉄筋の小屋でした。紛らわしい外観でしたが、祠なんかではありませんでした。そして、屋根の内側には虫除けの黄色い電球が取り付けられ、その中には、キツネにそっくりな口が尖った白い犬がいて、私の顔を見ると、高らかに

ワン、ワン、ワン!

と吠えました。

私は呆然としました。

この2年間、心の支えにしてきたのに・・・。霊験あらたかなおキツネさんだとばかり思ってきたのに・・・。私の無根拠の安心感は、一体なんだったのでしょう。

ショックでした。

 

それ以来、私は夜道が怖くなくなりました。

今は犬を飼っていて、毎夜散歩に出ていますが、夜道が怖いなんて思ったことはありません。

私たちは、大なり小なり、あのおキツネさんのような無根拠のものにすがって生きているのだと思います。本当はいつ足元がパックリ割れて吸い込まれるかもしれないのに、「これこれがあるから大丈夫」みたいに屁の突っ張りを信じて安心しているのです。

とんだ馬鹿者です。

地震や、津波や、戦争や、経済破綻や、気候変動などに比べれば、幽霊も妖怪も、この世のものでない存在など、何ほどのこともありはしません。そして、本当に怖いものは、どんなに努力をしたって、防ぐことなんて出来はしないのです。お化けなんて屁みたいなものにかかずらっている暇はありません。私は忙しいのです。

 

ということで、

それ以後、私は幸せに暮らしましたとさ。

おしまい。