記録帳

日常の体験と、読書、映画の感想を主に書きます。

神も仏もあったもんじゃねー!というお話 つづき

ほんと、前置きが長くって顰蹙ですが、つまり母の入院中のことです。

 

法事

何が困ったかって、うちは昨年父が亡くなっているので一周忌の法要をしなくてはならないのです。お寺さんの予約も3ヶ月前から取ってあったのですが、そこへ持ってきて交通事故、入院です。

どうするよ?って話になりました。

私は当然日延べするのだろうと思っていたのですが、姉が「母の回復もどうなるかわからないのに日延べして、またできなかったら困る。他ならぬ一周忌だから絶対しなくちゃいけない。」と言い張って、予定通り決行ということになってしまいました。決行って、遠足じゃあるまいし・・・・。姉はそのような杓子定規なところがあるのです。まあ、こういう状況だし、親戚も大勢は呼ばないで近所のおじさんにだけ声を掛け、料理も取らないことにして、お寺さんには「報恩講のついでに寄ってもらってお経1巻あげていただく。」ということにしておきました。

父は法事が大嫌いな人でしたから、あまり大げさにするのは本意ではなかろうと母も言っていました。

 

荒神社祭事

そして、片道1時間の病院通いに法事の準備と毎日忙しくしていたら、今度は組内の役員さんが来て、「今年はお宅が荒神さんの祭りの当番です。」と、おっしゃるのです。

えーーっ!何それ?

 

でも、よく考えてみると、そう言えば本当は去年当番に当たっていたのに、父が危篤状態で、今日死ぬか、明日死ぬか、というところでしたので次の家に代わってもらっていたのでした。何しろ神事ですから、死人の出た家はケガレてるってことで出席できないのです。

 

「母は入院中で、私も姉も1時間かけて通ってる状態ですが、それでもやらなきゃいけませんか?」と聞くと、「どこの家も事情があって、このくらいで1軒飛ばしていたらキリがありません。」と言われました。

当番は3軒ひと組でやります。1軒は、92歳のおじいさんが82歳の認知症のおばあさんを看護しながら暮らしている家で、もう1軒は、寝たきりのお父さん(80代)と脳卒中で後遺症のある娘さんがいっしょに暮らしていて、時々、上のお姉さん2人が世話をしに通ってくるという家です。電話を掛けると娘さんがプルプル震えながらやって来て「申し訳ないのですが、うちはできないんです。」と悲しそうな顔で言うのです。私は、その人がまだ子供だった頃の可愛い顔を思い出し、切なくなってしまって、「いいよ、いいよ、私暇だからやったげる。」と、つい言ってしまいました。

そして、92歳のおじいさんの方は、「ワシはよう知っとるけえ、心配いらん。」とか言ってたくせに、覚えているのは20年以上前のことばかりで、ここ数年の段取りの変化がまるでわかってないのです。引き継ぎノートを見ながら説明しても、まるで受け付けてくれないところは、ひょっとして、認知症が入ってきてるのかもしれません。もー、私は泣きたくなりました。

 

ノーサンキューです。

母の病院、物置と化している寝室の片付け、法事の準備、荒神さんの祭り準備、合間にありがた迷惑な近所親戚の対応・・・・

もう、てんやわんや!

荒神さんの会費(お弁当、茶菓子代)を集めに回るのも大変です。共働きで夜しかいない家、嫁姑の折り合いが悪くてピンポンしても誰も出ない家、引きこもり気味で出てこない家・・・どっこも、電話で連絡してからでないと集金できないのです。

 

私は頭に来て、ゴジラのように口からゴオーッと火を噴きながら、「地域社会が分解しつつあるんだから、荒神さんの祭りなんてやめてしまえばいい!」とベッドの母に言いましたら、母はヨボヨボしながらも、荒神さんは火の神さんだから、祭りをやめたら、祟りで火事になるんじゃないかとみんな心配で誰も言い出せない。」と言うのです。

なるほど、うちの実家にしてからが、140年前、火事で全焼しています。

って、140年前に1軒焼けただけじゃないか!・・・

もー、そんなん、神さんのご加護だかどうかもわかりゃしません。そもそも、母が亡くなってしまったらうちは空家になってしまうのです。誰も彼も病人との年寄りばっかりの集落で、年々準備がしにくくなってきているのですから、行事の負担を減らさなくちゃやっていけないのじゃないでしょうか。

もー、荒神さん、いりません

 

などと暴言を吐きつつも、渋々走り回っていたら、姉から電話が掛かってきて、

「インフルエンザに罹ったから、法事の当日まで行けそうにない。一人で準備できる?」

と言いました。

 

どいつもこいつも・・・

私は、頭の中で、何かがボンッ!と爆発したような気がしました。

姉は、忙しさが極まってくると必ず熱を出すのです。忙しくて予防注射に行けなかったと言い訳をしていますが、私など、今自分が病気になったらみんな共倒れになってしまうと思ったので、万障繰り合わせて早々と予防注射をしたのです。仕事が忙しかったと延々言い訳をしているのを聞きながら、自分がインフルエンザで休んだら周囲がどれだけ迷惑を被るかちゃんと予測できたはずなのに、しなかったのは、きっと密かに病欠したいという願望があったに違いないと思いました。何かと言うと「あんたは専業主婦で暇なんでしょ。」と、私に実家のことを押し付けるくせに、肝心の時に役に立たないなんて・・・。

うちはここ一番って時に弱い血筋なんです。情けない。

 

ここでヒステリーを起こして怒鳴ることもできたのですが、私はここ数年の経験から、「ダメな人にプレッシャーをかけてもますますダメになる」とわかっていたので、姉を責めるような言葉は一言も言いませんでした。

諦めの境地で、努めて冷静に段取りを相談しながら、「絶対に謝らないで最後まで上から目線で話すところは亡くなった父にそっくりじゃないか。」と思いました。

 

祟り?

母の交通事故、姉のインフルエンザ、降りかかる困難・・・

これはひょっとして、父の祟りか?

と、つい思ってしまいました。

うちの父は、死んでも祟りそうな感じの性格の人だったのでした。

病院に行って母に、

「お母さんが事故を起こした日は、一昨年、検査でお父さんの癌がわかった日でしょ。ひょっとして、お父さんの祟りかなあ?

お葬式の時、鼻から詰め物がニョキって出てるって笑ったから、怒ってるのかも。」

と言うと、母は、

「いや、祟りだなんて・・・。あんな事故を起こして命が助かったのは、お父さんが助けてくれたんだと思うよ。」

と答えました。

 

ものは考えようですねえ。

 

私は、やっぱり、神も仏も祟も、あったもんじゃねー!と思いますけど。