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記録帳

日常の体験と、読書、映画の感想を主に書きます。

鶏小屋修理

この機会に、ついでに書いておきます。

もう4年ほど前のことになりますが、夫の作った鶏小屋を修理したことがありました。その顛末です。

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うちには烏骨鶏が20羽ほどいます。10年前のある日、夫が5羽の鶏を貰って来て飼い始めて、徐々に増えてきたのです。卵を産まなくなっても、老衰で死ぬまで(約7年)飼い続けるので、年々手間と餌代が負担になってきています。

夫も最初の意気込みは何処へやら、忙しさを言い訳にだんだんと世話も滞りがちになってきて、見かねて私が手を出していたのですが、夫の作った以前の小屋がそれはもう、ひどかったんです。

まず、入口ドアが腰までの高さしかなく、しゃがんで入らなくてはなりません。アヒル歩きをしながら入ってすぐに立ち上がると何故か絶妙の位置に止まり木があって、必ず頭をぶつけるように出来ているのです。なんで進行を妨げる位置に止まり木をつけるのか?

そして小屋の4分の1の面積が何故か広い棚になっていて、夫が酒屋で貰ってきた木製の酒瓶ケースが、ジャングルジムのように頭上に積み上げてあります。なんで?これじゃ、糞が溜まっても、ろくに掃除をすることもできないじゃありませんか。この高い棚も危険で、弱った鶏が棚と壁板の間に挟まって死んでしまったこともありました。

 

小屋を作った時には、ちゃんとブロックの基礎を作って太い柱も使って大したもんだと思っていたのです。でも、だんだんひどくなっていって、どうもこれは違うのじゃないかと思い始め、何度も作り直してくれるようにと頼んだのですけど、一向に取り合ってくれず・・・。毎日不便を耐えて世話をしていたのです。そうしたら4年前のある日、何回目か忘れましたがまたうっかり止まり木に頭を強くぶつけ、目から星が飛んだので膝を付いてヨロヨロと小屋の隅に這って行くと、何と、酒瓶ケースの影からヒナが出てきてピヨピヨ言いながら顔の前を横切るではありませんか。

幻かと思いました。だって卵はちゃんと毎日夫が回収しているはずでした。なんで?・・・。それでケースの裏を覗き込んでみると、そこには卵を隠し持っためんどりがいて、コッコッコッコとヒナを呼び寄せ、私のことを野犬か何かのように敵視しているのです。

棚の上の産卵場所ではなく、隅に隠れて孵していたのでした。

「ひどい!」私は愕然としました。いえ、何がひどいのかって、大量の卵を隠し持っているめんどりに気がつかないほど乱雑なこの小屋です。そしてヒナが生まれたっていうのに、掃除をすることもできないこの危険な小屋・・・これって、何?ひど過ぎじゃない?

堪忍袋の緒が切れました。

それで、夫に言ってもらちが開かないので、私は一人で小屋の修理を始めたのでした。

 

参考にしたのは、ネットの鶏小屋掲示板 です。

すごーい!世の中にはペットの鶏を飼っている人がいっぱいいるのですねえ。ここのみなさん方の創意工夫には感心するばかりです。

この掲示板でいろんな小屋の写真や記事を見て情報を仕入れ、まずやったことは、無意味な酒瓶ケースを捨て、棚板を破壊することでした。

次に、南側半分を通路にして、あの憎っき止まり木は切り取り、北側の半分に、通路と平行に、階段状の新たな止まり木を作りました。北側のもう半分はダンボール箱で産室をいくつか作って、卵を産むめんどりとその他大勢を分けることにしました。

止まり木の下は、鶏小屋掲示板で知った発酵床にしました。(笹島出著『発酵利用の自然養鶏』 農山漁村文化協会参考)

これは剪定チップなどでフンを発酵させるもので、半年に一度くらいしか掃除をする必要ないのです。うまく発酵すれば悪臭もありません。

それから不便なドアを外し、ノコギリがうまく使えないのでジグソーでコンパネを切って、悲願だった「立ったまま入れるドア」を作りました。

この時の工作のポイントは蝶番です。ちょっと値段が高くても、ドア用の「ナイロンリング入り蝶番」にしなくてはいけません。開け閉めのスムースさが全然違います。

 

まあ、そんなこんなで四苦八苦、修理を進めていったところ、だんだんと、ど素人の私にも、この小屋の構造上の欠陥が目に見えるようになってきました。なんと、・・・

柱と梁が噛み合ってない!

 

なんで?と聞くと、「切るのが面倒くさかったから」と言うのです。

柱が斜めに打ち付けてあって、それも断面がちゃんと正方形になっていない木なんです。これは20年前にうちの山が半導体製造工場に買い上げられた時、おじいさんが捨てるのは勿体無いというので松の木を切って来て、製材したのですが、太さが足らないために二面だけを加工したという代物だったのです。湾曲した面が外側になっているところは壁板に隙間ができて、イタチは入るわ、ヘビは入るわ・・・。

で、プンプンしながら壁板を引っペがして柱を立て直していたら、土台の木が雨漏りによって腐っていることが判明。上を見上げると、

波トタンの寸法が足らない!

 

なんで?と聞くと、「一枚足らなかったので、あり合わせの短いのを張った」と言うのです。

「買えよ!」

トタンが一枚短いのでそこに継ぎを当ててある上、屋根にほとんど傾斜をつけていないので、雨水がだーだーと小屋の中に流れ込んでいたのでした。ありえません。

 

もう、なんか、あっちもこっちも欠陥だらけで、TVの「大改造劇的ビフォーアフターのナレーションが聞こえてきそうな気がしました。「壁を剥がしてみると、なんと、柱と梁が噛み合っていないではありませんか!」

 

屋根は応急処置をしたのですが、結局、すべての壁板を剥がして隙間がないように貼り直すことになり、大変な手間がかかりました。私は何だかジワーっと、夫の性格がわかった気がしてきて腹が立ちました。今までわからなかったのかって言うと、実はわかってなかったんですね。大体私は人を見る目がない。でも、このいい加減さは尋常じゃありません。「そうか、今までうまくいかなかったアノ事も、コノ事も、みんな夫のいい加減な性格が元凶だったんだ。」と、過去のことをほじくり返し、だんだん怒りが増してきて、

「この結婚は失敗だったんだ・・・、あー人生を棒に振ってしまった・・・」

と思うまでになってきました。恐るべし欠陥小屋。

 

 

実は、東日本大震災が起きた日も、そうやってブツブツ言いながら小屋の修理をしていたので、大変なことが起きていることに、夜になるまで気がつきませんでした。暢気なことです。ニュースで海岸がボウボウと燃えている映像が流れたのを見て、「なんじゃー、コリャー!」とお箸を取り落とし、初めて、事態の深刻さに気づいた次第です。

それから数日後、落ち着かない気持ちで小屋にいると、突然、「1号機が爆発・・・2号機が白煙・・・」という甲高い声が聞こえてきて、幻聴かと思いました。ぎょっとして出て見ると、裏の道を幼稚園児が帰りしな、興奮しながら話しているのです。幼稚園児がです。コレハ容易ナラザルコトニチガイナイ・・・と、私はやっと我に返り、鶏小屋の修理を放り投げてTVにかじり付いたのでした。

 

東日本大震災で人生観が変わったっていう人がいますよね。私の友人は、「人間、いつ死ぬかわからないんだから、会いたい人には生きているうちに会わなきゃ。」と言って、昔仲のよかった友人たちを20年ぶりに招集して、プチ同窓会を開きました。

私も、修理を始めた時にはすごく怒っていたのに、あの大惨事を前に、鶏小屋くらいどうでもいいっていうか、「ま、夫もこれくらいいい加減だから、仕事のストレスに耐えて今まで生き延びることが出来たんだろうな。」と、おおらかな気持ちで見ることが出来るようになりました。だって、人間いつ死ぬかわからないじゃありませんか。生きてるだけでいいっていうか、おもいっきり許容範囲が広くなりました。

その時中断したまま、小屋の修理は終わっていません。だから屋根は雨漏り対策にシートを被せたままです。いったい、いつになったら終わることやらわかりませんが、また着手した時には書くつもりです。