記録帳

日常の体験と、読書、映画の感想を主に書きます。

ヒヨドリよけメジロのエサ台

先月のことですが、朝洗濯物を干していたら、小鳥が2羽やって来て、何か訴えかけるように盛んにさえずるのです。

ひょっとして知り合いの小鳥だろうかと、ミカンを半割りにして枝に刺すと、待ち構えていたように降り立ってついばみましたので、やはり知り合いだったようです。思い起こしてみると、そういえば去年の今頃、ミカンを木の枝に刺していたらメジロがやって来ていたような気がします。忙しかったのですっかり忘れていました。

それ以来、毎日洗濯物を干しているとやって来て「ミカン、ミカン」と訴えるのでやっていたのですが、そのうちヒヨドリが目をつけてメジロを追い払うようになりました。

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(ピンボケです。)

ヒヨドリったらひどいんです。キーキー鳴きながら襲いかかって来て、あっという間にミカンを袋ごとほじくり返してすっからかんにしてしまいます。何箇所にも分けて刺していてもだめです。うちの庭全体を縄張りにしているヒヨドリがいるのです。

それで、なんとかメジロだけが食べられるような工夫がないものかとネットで調べてみましたら、皆さん同じことを考えていらっしゃるようで、様々な工夫が見られます。

ひよどり対策 成功(「庭の小鳥たち」)

 

シジュウカラ・ヤマガラ・メジロ・ウグイス等Song-Birds専用のバードフィーダー(「BIRDHOUSES FEEDERS MUSEUME」)

キッチン用品を使ったバードフィーダーあれこれ(同上)

バードフィーダー : 終の棲家のひとりごと♪

上記のキッチンワイヤーネットを使ったエサ台を参考に、ワイヤーネット30センチ角2枚と30×60センチ2枚を100均で買い、接続部品もついでに買い、作ったのがこれ。

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 メッシュの間隔は3.5センチで、ちょっと狭いんじゃないかと4箇所ワイヤーを切って縦のスリットを作りましたが、全然心配ありません。上の方からスルッと何の苦もなく入り込みます。接続部品は蝶番のようにメッシュが動くので、30センチ角一枚を扉にして下を軽く止めているだけです。ミカンの取替も簡単にできます。

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(カーテンの影から撮ったのでうまくいきません)

こんな鳥かごみたいなもの、入るまでに時間がかかるだろうと思っていましたが、吊るした直後から入れ替わり立ち代り、何羽ものメジロが来て大盛況でした。

一方、ヒヨドリは遠目に見ているだけで近寄ろうともしません。

なんせ、リビングの掃き出し窓のすぐ前ですから。

 

これで、ヒヨドリ対策は大成功ということでしょうか。

アマノフーズのフリーズドライ味噌汁

最近ハマっているもの その4

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お正月に姉がアマノフーズの福袋をくれました。

大好評★アマノフーズの福箱2016│ アマノフーズオンラインショップ

お味噌汁やスープ、にゅうめん、カレーなどバラエティーに富んだフリーズドライ食品が50個くらい入っている豪華な袋です。

この中で私が一番好きなのは「なすのお味噌汁」です。最近出たらしい「焼きなすのお味噌汁」もしみじみ美味しいなあと思いました。それからびっくりしたのは、「長期保存用味噌汁」というシリーズがあるんです。3年6ヶ月保つらしいです。防災用品として常備しておいてもいいかもしれません。

 

姉の家はアマノフーズの本社に近いので、しょっちゅうお味噌汁を買いに行ってるようです。

フリーズドライ食品は軽いし、日保ちするのでギフトとして重宝します。実家でも母がいつも箱入りのお味噌汁セットを常備しています。来客時におみやげにするためです。

うちの方でも、義母の葬儀以来重宝しています。

どういうことかと言うと、葬儀の香典返しにフリーズドライ味噌汁と布巾のセットを使ったのです。香典返しのカタログを見せられた時、私が「のし袋は絶対にダメです。もらって嬉しく、すぐになくなるものにしたいんです。」と強く主張するとそれを勧められました。

葬儀に行くとよくのし袋を貰うことが多いのですが、うちにはすでに引き出し2つ分のストックがあって持て余しています。おじいさんのところは引き出し3つ分です。一生かかっても使い切れやしません。

「味噌汁じゃことの、変じゃないか?」と半信半疑だったおじいさんも、葬儀の後、残しておいた香典返しの予備をバラして当分の間食べていたら、「こりゃあ便利じゃのう。」とすっかりファンになってしまいました。いつも常備しておいて、お客にもお茶ではなく味噌汁を出すくらいです。だって、簡単なんですもん。

そして義母の葬儀の後、うちの近所では「香典返しにアマノの味噌汁」というのが流行るようになりました。うちは4個+布巾でしたが、裕福な家は6個+ハンドタオルです。茶の子もアマノの味噌汁ギフトが多いです。お歳暮、お中元も、たいてい誰かがくれることになっています。

最近は近所のスーパーでも、簡易包装の味噌汁お得パックを売っているので、うちではいつもフリーズドライ商品を食品棚にストックしているんですが、それって一般的なんでしょうかね。

 

幻の八ちゃん焼豚ラーメン

アマノフーズは、今年「アサヒグループ食品会社」に統合されたそうです。

お知らせ|アサヒグループ食品

これから益々商品のラインナップが増えるのでしょうか?

それなら一つ要望があるんですよね。

あれを作って欲しいのです。

昔、八ちゃん焼豚ラーメンというフリーズドライのカップ麺があって、異色の美味しさに絶大な人気を誇っていたのですが、それを作っていた横山製麺が2006年に廃業してしまって、なくなっちゃたんですよね。

ネット上では残念がる声がしきり・・・

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/nissin/1080103402/

幻の八ちゃんラーメン - つれづれなるままに

私もショックでした。子供の頃から食べていましたから。

フリーズドライのラーメンというのは八ちゃんラーメンだけだったようです。

麺がツルツルシコシコですごく美味しかったんです。

この横山製麺のフリーズドライ部門を買い取ったのがアマノフーズだったと記憶しているんですが、未だに商品の中にラーメンがないんで不思議に思っています。

ラーメンはやらないんでしょうか?

是非作って欲しいと思います。

 

千円札を拾いました。

「千円札は拾うな」って本がありましよたね。

先日の夜、犬の散歩に出たら、近所の道端に千円札が落ちていました。

つい一昨年までその道の周囲は田んぼだけだったのですが、今や造成されて新築の家が建ち並んでいます。そしてその道は駅からの通勤通学の路上で、いったい誰が落としたものやらわかりません。

こんな時は交番・・・と、うっかり後ろを振り返ったのですが、以前そこにあった交番は今はもうなくなっています。このあたりの人口増加に伴い、事件、事故も増えてきたため新たに警察署が新設され、近くの交番はそちらに吸収されてしまったのでした。

私は一昨年、その警察署に自転車の盗難届を出した時の面倒くささを思い出してウンザリしました。一時間近くかかったのです。

盗難場所の駅の正式な駅名は?と聞かれたので、「JR福塩線〇〇駅」と答えると、「いや、違います。」と言われ、なんだか聞いたこともないような地名を詳細地図で探して来てそれを書けと言われました。JRが使う正式名称があるようなのですが、そんなの、見たことも聞いたこともありません。「正確に停めた位置を地図で書け」とか、「自転車の値段は?」とか、もう根掘り葉掘り聞かれて、「知らんわ~!」と怒鳴りそうになりました。

そして、一年以上たってからその自転車は遠方の内科医院の自転車庫で見つかったのですが、それは盗難届を出していたからではなく、防犯登録されていたからです。長期間放置されていたので医院の人が警察に連絡したのです。ボロボロになって、もはや必要もなかったのに引き取らざるをえず、四苦八苦して持って帰りました。

また拾得物の届けに一時間もかかるのじゃ、たまったもんじゃありません。

千円は警察の人の時給にも満たないと思います。

もし、私が落とし主として、千円くらいで警察に届けるかなあ?と思いましたが、きっと届けはしないでしょう。

でも、もし落としたのが子供だったら、可愛そうだなあと思い、なんとか返してやれないかと道端にずっと佇んでいたんですが、誰も通らないし、寒いし、あきらめて散歩を続けました。「小学校の教育後援会に寄付すれば、ボールとか教材とかになるから、間接的にその子に還元するかもしれないなあ。」と思い、ふとその日は土曜日だったことを思い出し、塾帰りの中学生かもしれないと考えました。小学校の教育後援会費の徴収は5月で、中学校は7月です。

その時、自転車の高校生が通り過ぎて行ったので、近くに予備校もあったことを思い出しました。高校生となると、もはやお手上げです。困ってしまいました。

「千円札は拾うな」って、こういうことだったのか!と思いましたが、帰って調べてみたら、そういうことじゃなかったみたいです。

 

そう言えば、去年も同じ頃に、母が入院していた病院の駐車場で財布を拾いました。お札がぎっちり入っていて、免許証もあったので、病院の受付の人に渡しておきました。あの頃は母の入院でてんやわんやで、人のことに構っている暇がなかったのです。

1月って、お金を落としやすい時期なんでしょうか?

そう言えば、3年くらい前にも1月に公園で100円玉を拾ったなあなどと思い出しました。あれは、スーパーの何かの募金箱に入れたような気がします。

今回も、えーい、募金箱に入れてやれと思いましたが、やっぱり、どうせなら子供のためのなんかにしたいものだと思い直し、結局ここに募金しました。

ドイツ平和村の子どもたちにカンパを|通販生活®

 

一口2千円なので、千円足して「通販生活」とじ込みの振込用紙で振り込んでおきました。

なんか、いいことをしたんだか、悪いことをしたんだかわかりません。

きっと、拾得物横領罪とかになるんだと思います。

やっぱ、「千円札は拾うな」ってそういう意味?

 

今朝のあさイチで、

「あさが来た」に出演中の(そして、今朝亡くなった五代友厚役の)ディーン・フジオカさんが、大阪の街中をパトロール中に3千円を拾って交番に届けたという話をしていて、やっぱり届けた方が良かったかなあと反省しました。

 

 

 

 

 

 

森博嗣 「すべてがFになる」

昨年は森博嗣の小説を集中的に読みました。

「ヴォイド・シェイパ」シリーズを読んで、スカイ・クロラに似た雰囲気にすっかりハマってしまったのです。それで何冊か読みふけった後、未読だったすべてがFになるも今こそ読まなくっちゃと、文庫を買って半分まで読んだところで、なんと、深夜のTVアニメでちょうど放送していることを発見しました。

じゃあ、続きはアニメで見ようと思っていたら、どうも、原作とはちょっと違っているようです。調べてみると、アニメには「四季」シリーズの要素が含まれているとのこと。おかげで、密室殺人の謎解きに重点が置かれていた原作よりも、物語に奥行が出ています。まあ、トリックは難しすぎてよくわかんないんですが、それよりも、原作だけでは殺人の動機がさっぱりわからなくてチンプンカンプンだったのが、アニメの最終回を見たらなんだかわかったような気がしてきたのが不思議です。

 

【すべてがFになる】第11話 感想 凡人の限界を感じた…【最終回】 : あにこ便

 

動機、あるいは目的

真賀田四季犀川との会話

四季「死を恐れている人はいません。死に至る生を恐れているのよ。苦しまないで死ねるのなら、誰も死を恐れないでしょ?」

犀川「おっしゃるとおりです。」

四季「そもそも、生きていることの方が異常なのです。死んでいることが本来で、生きていることはそれ自体が病気なのです。病気が治った時に生命も消えるのです。」

犀川「あなたは、死ぬためにあれをなさったんですね。」

四季「そう。自由へのイニシエーションです。」

犀川「警察に自首されるのですね。」

四季「自首したのでは死刑にならないかもしれませんね。」

犀川「どうして御自分で・・・その、自殺されないんですか?」

四季「たぶん、ほかの方に殺されたいのね。自分の人生を、他人に干渉してもらいたい。それが、愛されたいという言葉の意味ではありませんか、犀川先生?

自分の意志で生まれてくる生命はありません。他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意志ではなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか。」

犀川「理屈としてはわかりますが・・・、いや、やはり僕には理解できません。しかし、それは僕がそうプログラムされているだけで、あなたがおっしゃることは正しいかもしれない。」

四季「私には正しい。あなたには正しくない。いずれにしても正しいなんて概念は、その程度のものです。」

 この後、「クロックが違う」というような言葉があったので、確かに、正しさの概念なんて時代によって、状況によって、相対的なものだなあと思いました。

すると真賀田博士は、自分の子供とその父親、それに自分の両親さえも殺したことを悪いとは思っていないのです。なぜって、生きていることが良いことで、死ぬことが悪いことだとは思っていないから。そう言えば、「15歳になったら親を殺して自由になる」というのが人間のあるべき生き方と思っていたのでした。

まあ、普通ならサイコパスの一言で片付けてしまいますけど、年取って手のかかる親に散々悩まされてヘトヘトになっている私としては、「あー、そうかもな。」とちょっと想像してしまいました。

だって、平均寿命が80何歳なんていう今の日本の状況はまったくの想定外のことで、これから、国も社会も個人も、介護が必要な老人の面倒を見切れなくなるのは時間の問題じゃないですか。

先日、90歳の叔母さんが電話してきて、「こんなに長生きするとは思ってなかった。いったいいつ死ねるのかと、我ながら呆れる。はやく死ねばいいのに。」と繰り言を言うので返事に困りました。本人も早く死にたいものだとずっと言っているのですが、自殺ってわけにもいかず、死ぬまでは生きてなくちゃいけないので辛いのです。

「長寿でおめでたい」なんてニュースで言ってるのを見ると「何がおめでたいものか!」と思います。最近は猫も杓子も長寿なんです。珍しくもなんともありません。

もしかしたら本当はみんな密かにそう思っているのかもしれませんが、「長寿は良いことだ」という前提で社会が成り立っているのだからそういう建前にしておかなくてはならないのだと思います。人はその手の多くの思い込みに支えられて生きているのです。思い込みの前提が一つ欠けただけで、不安に駆られて人生が崩壊してしまうかもしれません。

 

生きる意味について

 

四季とミチルとの会話

ミチル「お母様、海は月より人間に必要なものに思えます。」

四季「それは、人間との関係が強いということ。」

ミチル「人間も、他の多くのものと関係しているのですね。」

四季「そうです。一人一人の人間の存在が、その周辺に影響を与えます。でも、人は、周りの人やもののために存在しているのではありません。つい、誰かのためになりたい。みんなの役に立ちたい、それを自分の存在の理由にしたいと考えがちなのです。存在の理由をわからないままにしておけないのね。常に答えを欲しがる。それが人間という動物の習性です。」

ミチル「欲しがってはいけないのですか?」

四季「いいえ、欲しがることは間違いではありません。しかし、完全なる答えなどないのです。でも、それを問い続けることは、とても大事なことなのです。」

ミチル「近づくことはできるのですね。」

四季「そう考えればよいと思います。でも、私にもまだわかりません。」

ミチル「お母様にもわからないことがあるのですか?」

四季「もちろんです。わからないことがあるから、人は優しくなれるのです。」

ミチル「どうしてですか?」

四季「すべてがわかってしまったら、何も試すことができません。何も試さなければ、新しいことは何も起こらない。人はわからないことの答えを知りたいと思って追い求める。そこに、優しさや懐かしさ、そして喜びや楽しさが生まれるのです。」

ミチル「私はお母様にいつも聞いています。こうして答えを求めることで、私は優しくなれますか。」

四季「そうね。私がいないときも、いつも問いなさい。誰も答えてくれないときも問い続けなさい。自分で自分に問うのです。それを忘れてはいけません。それがあなたの優しさになるでしょう。」

 こんなに娘を愛しているのに、自分を殺さないからって殺しちゃうってのはやっぱり理解不能ですが、あっ、そうか、電脳の世界で存在し続けていればこの人にとっては生きてるのと同じってことになるのかな、とか、やっぱり「四季」シリーズを読まないとよくわかりません。しかし、「存在の理由を問い続けるのが人間の習性」というのは身につまされてよくわかります。

 

実家の父が亡くなる前、延々と自分の人生を語りだし、更には親戚一同やご先祖様たちについて何代にも遡って解説をし始めたので往生したことがありました。エンドレスなんです。しかも男はロクデナシばかりなんです。これはいったい何なんだ!と思っていたら、ガンで入院した病院で、要望を聞きに来た緩和ケア科の先生の前でまた、「戦時中や終戦直後は食べるものがなくて苦労した・・・」という話を唐突にし始め、業を煮やした私が、「それで結局何が言いたいの?」と言うと、「頑張って生きてきた自分を褒めて欲しい!」とキッパリ言ったので、やっと腑に落ちたということがありました。

「頑張って生きてきた自分を褒めて欲しい」のです。みんな。

私は、父に対しては、いろいろと恨みつらみがあったので、実のところは「何を傲慢な!このくそじじいめ、早くくたばれ!」と内心思っていましたが、家族の誰も何も言わないので仕方なく、「お父さんは今までよく頑張ってきたよ。仕事も大変だったのに、私たちのために続けてしんどかったね。ありがとう。」としおらしい声で言いましたら、父は泣きそうな顔になって、やっと昔話が終わりました。

「人に評価してもらわないと人生には意味がないのかよ!」

とか、

「散々自分勝手なことをしてきて、何が今更『褒めて欲しい』だ!ただのロクデナシじゃないの!」

とか思いましたが、とにかく「めでたし、めでたし」という締めの言葉がないと終われないんでしょう。昔話ですから。

そう言えば亡くなった姑も入院中、「うちは、病気ばっかりして迷惑をかけてごめんなあ。」と言うので、「お義母さんは、今まで仕事ばかりしてきたじゃありませんか。もう十分働いたんだから、ちょっとは休んでもバチは当たりませんよ。」と言うとすごく嬉しそうな顔をしていました。人間は、他人に自分の価値を認めてもらわなくては生きていけない(あるいは、死ねない)んだと思います。

似たようなことですが、認知症で施設に入っている父方の伯母が、「仕事(ミカン作り)ができなくなって、生きている資格がない。」と言って嘆いているという話を聞きました。もうすぐ90歳なんですよ。伯母に生きている資格がないなら、のんべんだらりと暮らしている私なんて、もっとありません。生きる意味とか、資格とか、そんなものは元からないのです。生まれてしまったから、死ぬまでは生きなきゃいけないんです。それを、意味があるかのように思い込んでいるだけなんです。

意味なんかなーい!

と言いたいところですが、みんな、「ある」と思い込んで生きていることで社会の秩序が成り立っていて、辛うじて私もそこにぶら下がって生きているので、そういうことは決して人に言ってはいけないんだと思います。

 

だから、「すべてがFになる」は、ある種の思考実験なんだと思います。まあ、そうなんでしょうけど。

 

 

初夢と別の人生を生きる小説について

今年の初夢

最近は滅多に夢を見ないのに珍しく見たと思ったら、美人ダンサーになって恋人がマフィアの殺し屋という映画のような設定で、しかも対立する殺し屋に恋人を殺され、自分も追い詰められて「俺のものにならないのなら殺す」と言われ、別に、前の恋人も義理立てするほどには愛してはいなかったんだけどと思いながらも、「へん、死んだほうがましよ!」と啖呵をきって撃ち殺されるという、かっこいいんだか、悲惨なんだかわからないミョーな夢だったので、目を覚ましてから愕然としました。

ひどい夢だと思いながらも、ふと、もしかしたらそれは私の心の奥底の願望なのかもしれないなと思いました。だってすっごい美女なんです私(もちろん夢の中で)。自由奔放、贅沢三昧、宝石買い放題なんです。スリルとサスペンス・・・・全部私には欠けているものです。ちょっといいなあと思ったら、ふと、でも夢の中では「こんな宝石なんてホントはいらないんだけど・・・」とか、「この人やさしいけど、ホントは残忍な人なのよね。」とか思っていたことを思い出し、ひょっとすると、夢の中の美女は「不細工で貧乏でもいいから平穏無事な生活を送って天寿を全うしたい。」と願ったのではないかと思いました。私が彼女の夢を見たのではなく、彼女が死に際に見た平凡な生活が私の今の世界かも・・・・

 

というのはなんだっけ、・・・・そーだ、胡蝶の夢というのではなかったか。

 

恒川光太郎「スタープレーヤー」「ヘブンメイカー」

アーシュラ・K・ル・グィン「世界の誕生日」

というようなミョーなことを考えたのは、多分、年末に読んだ本の影響だと思います。

一つは、恒川光太郎「スタープレーヤー」と、その続編の「ヘブンメイカー」

スタープレイヤー (単行本) | 恒川 光太郎 | 本 | Amazon.co.jp

ヘブンメイカー スタープレイヤー (2) | 恒川 光太郎 | 本 | Amazon.co.jp

もう一つは、アーシュラ・K・ル・グィン「世界の誕生日」

Amazon.co.jp: 世界の誕生日 (ハヤカワ文庫SF) 電子書籍: アーシュラ K ル グィン, 小尾 芙佐: 本

 

恒川光太郎「スタープレーヤー」もの2冊は、平凡な人間が、宇宙人主催の福引に当たって、別の世界で「10の願いが叶う」スタープレーヤーになるというおとぎ話によくあるようなシチュエーションなんですが、「つまらないことを願ってそれを収拾しているうちに願いを使い果たしてしまう」というようなありがちな笑い話に落ちてなくて、どんどんと話が壮大になっていくのでおもしろくて読み始めたら止まらなくなります。もろロールプレーイングゲーム状態なんですが、人間の欲望や、戦争や、宗教や統治制度などについてつくづく考えさせられました。私は「夜市」以来、恒川光太郎のファンです。

最初の主人公は、人生に疲れた30代バツイチの女性です。彼女が最初に叶えた願いが、「美人に変身して、宝石や砂金が転がる小川と自給自足の生活のできる畑のある広大な庭園と元の自宅を持ってくる」というもので、ここで彼女は機嫌よく暮らしているのですが、次第に外の人たちと交流するようになり、やがて、願いをもっと多くの人のために使うようになるのです。

この世界には他にも様々なスタープレーヤーがいて、中には奴隷として使うために地球から人を呼び寄せていたりするような利己的な人もいるのです。死者を蘇らせることさえも可能なので、次の「ヘブンメイカー」では、恋人を殺されて絶望していた主人公がスタープレーヤーになり、死者を蘇らせた町を作ります。

もし、自分がそんなすごい力を持てたら・・・とつい妄想してしまいますが、いくら考えても、私も最初の主人公くらいのことしか思いつきません。食料、水、エネルギー、花、持続可能な自給自足生活ってとこです。どんなに多くのことが可能でも、スタープレーヤーの器がちっちゃいと、ショボイ・・・または酷い世界しか実現しないんです。

主人公たちは、神のごとき力を持っているわけですが、その使い方を学んでいくうちに、だんだんと無欲になっていくんです。人間はたった一人では生きていけないし、社会を維持するためには大勢の力が必要です。みんなが幸せな生活ができなくては社会は長続きしません。絶対君主になって奴隷を駆使するよりも、民主的な社会でみんなといっしょに汗を流して働く方が幸せで自由なのです。

2冊とも昨年読んだ本の中で多分ナンバー1の面白さでした。

 

ル・グィン「世界の誕生日」は私たちの世界とはまったく違った文化や習慣を持つ、いろいろな世界についての短編集です。私たちの世界との差異が最初から説明されているわけではないので、読みにくくってわけがわからないのですけど、読んでいくうちに、その世界に独特の制度の中で悩み、苦しみながら成長していく主人公たちに共感を覚えるようになります。

たとえば、男性が極端に少ない世界で、彼らは種付けにだけ利用されるため社会から隔離され、「城」で暴力的君主の元、ひどい扱いを受けながら生きています(「セグリの事情」)。反乱が起こって主人公が城から郷里の実家へ帰ってきますが、彼に居場所はないのです。男はスポーツや娯楽に関することだけができればよいとされていて、大学にさえ通えないし、農夫や大工や料理人、警官や役人のような責任のある仕事からは排除されているのです。「えー、これって、かつてのこっちの世界の女性差別の裏返しじゃないの。」と、私たちはその理不尽さに愕然としますが、何百年も続いた制度はなかなか変えることができません。

ホロニュースを見るたびに、男性の生来の暴力性や無責任さ、社会的政治的な意志決定に参加するには生物学的に不適格であることなどを語る女性が必ず登場しているようだった。ときには、男性が同じことをいっていることもある。

だって・・・・。言葉を多少入れ替えるとどっかで聞いたことがあるような・・・。

 

また、奴隷制度をめぐる戦争が起こっている世界(「古い音楽と女奴隷たち」)では、他の星からきた外交官が合法政府(守旧派)に捕らえられ、農園の廃墟でひどい拷問にかけられます。「蹲踞檻」という奴隷を見せしめに拷問するための檻に入れられて死にかけ、危うく一命をとりとめますが、彼は自分は奴隷のようだと感じ、壮麗な庭園の美が奴隷たちの「苛酷さと悲惨さと苦痛の上に築かれたものだ」ということがやっと見えるようになります。それまで彼は、多少反乱軍に同情的だったけれども、奴隷制の上に築き上げた豊かな社会を当然のものと思っていたのでした。

こっちの世界と違うのは、あっちの支配階級は肌が黒く、奴隷たちは白いのです。しかし反乱は混迷を深め、もはやどちらが優勢なのかもわからない。そして主導権を握った時にやることは一緒なのです。殺戮と混乱、そして最終兵器への欲望・・・。このあたり、いくつもの過去の戦争やら、中東の混迷やら、いろいろと思い起こさせて、「あー、人間って情けないなあ」としみじみ思います。

 

それからおもしろかったのは、第二の地球をめざして旅をする宇宙船の話です。(「失われた楽園」)地球から目的の星まで約6世代、その後6世代を重ねて帰って来れるほどの物資と設備が備わったすごい宇宙船なのです。ところが、代を重ねるごとに地球の記憶は薄れ、奇妙な宗教が発生して、その聖職者である天使たちは権力を持ち、教育をも操作して「星に到着することではなく、旅を続けることに意義がある」みたいに持っていこうとするのです。たとえ旅の途中で死んだとしても、魂は永遠の至福に導かれるのだからと言って。

確かに、元の世界は、争いや貧困、恐怖や苦痛に満ちていました。宇宙船の中にはそんなものは存在しないのです。それに果たして目的の惑星に到着した時、生まれてから一度も大地を踏んだことがなく、太陽や雲を見たことがなく、飢えや渇きを経験したこともない人々が、危険で不潔で騒々しい地上に降り立ち、生きていけるのでしょうか。

選択は個人に委ねられます。多くが外の世界に恐怖を感じて船に留まり、そして再び旅立ちますが、勇気を持って新世界に降り立った人々もいました。そして生き抜くのです。未知のものに一つ一つ名前をつけ、ゼロ年代の子供を産み育て、かつてバーチャルリアリティーの中でだけ存在したものを実感しながら。

もはや楽園は永遠に失われてしまっていますが、その代わり、ここでしか感じられない「よろこび」があるのです。

 

私ならどっちを選択するかな?と考えましたが、いくら考えても結論が出ません。「ヤブ蚊には耐えられない。絶対楽園の方がいい。」「でも、閉鎖空間にも耐えられない。庭がないと、庭が。」「地上で文明を築いて、楽園のような社会を造りあげる、というのがベスト。」「だけど私なんかすぐに死んじゃうに違いない。命あっての物種っていうし。」「あー、スタープレーヤーになりたい!・・・ってそれ別の小説だし。」

やっぱり、ル・グィンはすごいです。

 

 

NHK「新春テレビ放談2016」

2日夜にテレビをつけたら、民放の番組について論じる番組をやっていて、「こういうのはどうでもいいや」とNHKに変えようとしたら、それがNHKだったのでびっくりしました。

新春テレビ放談2016

番組内容

2015年に放送されたテレビ番組人気ランキングをもとに辛口パネラーたちが徹底討論!

出演者ほか
【出演】テリー伊藤,YOU,ヒロミ,ヒャダイン羽田圭介吉田正樹,【司会】千原ジュニア首藤奈知子

いろいろ面白かったのですが、中でも私が最近気になっていたことも言っていて、ああ、やっぱりそうなのかと納得したので書いておきます。

 

マツコ・デラックスはなぜ流行っているのか

マツコさんは・・・・

「どんな立場の人からも、非難されない。自分の代弁をしてくれる人という立ち位置」

「あのフォルムはすごい。美しいよね。」

ゆるキャラなんだ。国民的ゆるキャラ。」

「フグに毒があってもいいってかんじ」

「賢いよね。こんなことを知っているのかっていうようなことを知ってる。」

 出演者の発言、全部そうだと思います。

 

 何年前だったか忘れましたが、たかじんのそこまで言って委員会で故三宅久之氏が

「最近の夜のテレビ番組は何だ!人三化七みたいのばっかり出てくるじゃないか!」

と怒っていて、「人三化七ってなんのこと???」と不思議に思って夜中にテレビをつけたらマツコさんが出ていて、「あ~、これか~・・・」と納得してしまいました。

その時は、「この人は細木数子の穴埋めだな。」と思い、私は細木数子が嫌いだったのですぐにテレビを消してそれっきり忘れてしまったのでした。

 

それから時は流れ、その次にマツコさんを見かけたのは、マツコの知らない世界

です。

「ちゃんちゃらん、ちゃ、らららららららら・・・」というテーマ曲(Linda Scott  " I’ve Told Every Little Star")に惹かれてつい見てしまったら、最新の文具について語る人が出ていて、「あー、このボールペン欲しい!」と強く思い、その時初めてマツコ・デラックス細木数子とは似て非なるものだということがわかったのでした。

ボールペンライターオススメ!高いけど長く使えるボールペン・マツコの知らない世界

 

私は元々、「潜入リアルスコープとか、工場見学の番組が大好きなんですが、マツコの知らない世界は、毎回「その道のプロ」みたいな人が出てきて、ディープな情報を提示してくれるところは、工場見学番組みたいだなとちょっと思って、それ以来録画保存するほどこの番組が好きになりました。

そしてつい先日、「マツコ会議」を見たら、なんとスゴイ格好の素人の人たちがたくさん出ていて(スゴイの意味はまあ、いろいろあるのですが・・・)、「あ、三宅先生が人三化七とおっしゃったのは、ひょっとするとこの手の人たちのことだったのかな?」とやっとわかったのでした。

10月にマツコさんがトヨタの工場に見学に行く番組を見ていたら、工員の人たちに対する質問も、社長に対する質問も、ちゃんと的を射たもので、尚かつ、いい意味で下世話なところもあって、「こういうの、バカな人にはできない会話だな」と思いました。

マツコの知らない世界」で、はっきり言って、興味のない人にはまったく意味のないようなウンチクを披露されてもちゃんとついて行けるってのも、なかなかできそうでできないことで、引き出しの少ない人にはちょっと無理だろうなあと思います。つまりマツコさんはかなり賢いのです。

そして、「月曜から夜更かし」などで毒舌を吐いていても、「地獄におちるわよ~」的な傲慢さを感じないから安心して見ていられます。番組スタッフには怒鳴ったりしてるけど、素人の痛いところを突く酷いナレーションには「ちょっと、やめなさいよ!」と必ず言うので、弱いものいじめに堕していない。

それから、「どうせあたしなんて、いつまで生きられるかわからないし・・・」とか、思わず納得してしまいそうになる弱音を吐いたりするので、なんだか、「人生いろいろあって、修羅場もくぐり抜けてきました。ここも、いつまでやってられるかわかんないけど、とりあえず、やれるまでやるわ。」っていう場末の飲み屋の女将さんみたいな感じで(いや、そういう飲み屋に行ったことないけど)、「そりゃーわかるわ。」と、ついつい胸襟を開いてしまいそうになるのです。ちょっと、「弱いもんの味方」的な幻想を抱いてしまうってことですね。

でもって、

こういう討論番組を作るってところがNHKはえらい

と思いました。

子供の頃は、本をたくさん読んで教養を高めようと考えていましたが、最近、自分の知識教養の中身の由来をチェックしてみたら、そのほとんどが、読書からではなく、テレビから吸収したものだったということに気がつきました。多分60%くらい。残り40%のうち15パーセントが新聞で、25%がネット。読書からは5パーセントくらいに過ぎないって感覚ですね。

子供の頃、「テレビばっかり見ているとバカになる」と言われましたが、今バカになっているのは、決まった番組だけしか見ていない(「水戸黄門」とか、「新婚さんいらっしゃい」とか)私らの親世代の方です。全然言葉が通じません。

そして、ほとんどテレビを見なくて、ネットばかり見ているうちの子どもたちとも言葉が通じません。彼ら、時間軸と空間軸がメチャメチャ狭いのです。

 

最近、「新・映像の世紀」を見て思ったのは、前回の「映像の世紀」を見て皆が痛烈に思ったこと・・・「なぜこんな悲惨なことになったのか」という疑問の答えが今回説明されているんだなってことでした。絡まりあった糸をひとつひとつ手繰り寄せ、丁寧に解きほぐしていくかのように、歴史的な流れをわかりやすく見せていて、すごいと思いました。映像の力を感じると同時に、テレビの力、そしてNHKの力を感じました。

 

結論 テレビを見ないとバカになる!

終わり

 

 

 

絵のこと その11

笹島 喜平「国士峠の富士」

「絵のこと その3」でちょっと触れましたが、お正月ですのでやっとこの絵の出番が来たかと引っ張り出してきました。

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以前は、時代遅れで殺風景な版画だと思っていましたが、玄関に掛けてみるとなかなかいいじゃないかという気がしてきます。

わがままで頑固だった父の憎たらしい顔が脳裏に去来しないこともありませんが、ま、富士山が世界遺産になったことですし、おおむね、縁起のよい気が漂う力強い絵だと思います。

 

考えてみると、富士山ってこんな白黒でもちゃんと一瞬でわかるってすごいですよね。

しかも、脳内でつい、いろいろな色を着色して見ちゃうのですから、日本人の富士山映像のデータベース容量ってものすごいですよね。

 

ところで、さっきGoogleストリートビューで見てみると、国士峠は植林の杉林が遮っているため、今では富士が見えなくなっているようです。